2022年9月1日
株式会社イースクエア代表取締役社長 本木 啓生


企業が取り組むビジネスと人権の重要性の認識はかつてないほどに高まりつつある。各国ではソフトローからハードローへとバーの引き上げを図る一方、機関投資家の関心度を反映し、ESG評価機関は企業評価に軒並み人権の視点を組み入れ、より詳細に取り組み状況を把握しようとしている。

国内では、経済産業省が「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン(案)」をまとめた。日経新聞の報道によると、省庁横断の「ビジネスと人権に関する関係府省庁連絡会議」に指針案を報告し、パブコメにかけた上で今夏にも最終決定することになる。

先行する欧州委員会では今年2月に企業のサステナビリティ対応を法的に義務付ける「コーポレート・サステナビリティ・デュー・ディリジェンス指令(CSDD)案」を発表し、人権と環境の取り組みを求めている。この提案が対象とする範囲は、企業自身の事業はもちろんのこと、子会社および自社のバリューチェーンに適用される広範なものとなっている。デュー・ディリジェンス義務を遵守するために、企業は以下のことを行う必要があるとしている。

・デュー・ディリジェンスをポリシーに組み入れる。
・人権や環境に対する実際の、または潜在的な悪影響を特定する
・潜在的な影響を防止または軽減する
・実際の影響に終止符を打つ、または最小化する
・苦情処理の手続きを確立し、維持する
・デュー・ディリジェンスの方針と手段の有効性を監視する
・デュー・ディリジェンスについて公表する

デュー・ディリジェンスが企業機能全体の一部となるためには、企業の取締役が関与する必要があるとしている。そのために、デュー・ディリジェンス導入の企画および監督をし、企業戦略に統合する取締役の義務についても明記している。経済産業省が策定するガイドラインでも、同様に経営陣のコミットメントを強く求める内容となっている。

経営陣に求められる人権の責務

世界経済人フォーラム(WEF)の人権グローバル・フューチャー・カウンシルにおいても、取締役会の責任に着目した。カウンシルでの議論及び企業や市民社会への詳細なインタビューに基づき本年5月にまとめた「影響を受けるステークホルダーとのエンゲージメント:取締役会の新たな役割(仮訳)(Engaging Aected Stakeholders: The Emerging Duties of Board Members)」と題した本レポートには、ガイダンスノートが付いており、本稿ではその内容について紹介したい。

自社及びバリューチェーン上で「影響を受けるステークホルダー」の人権をいかに尊重するかということになるが、取締役と影響を受けるステークホルダーとの関係性は遠い。事業活動に責任をもつ人と、その活動によって人権への影響を受けるステークホルダーとは、論理的には影響のチェーンの両端に位置付けられることになるが、現実には直接的な関係はない。取締役会は、企業の経営管理を委任された経営陣を監督する一方、経営陣は、人権に関する専門知識を有するスタッフに特定の業務を委任する。さらに、影響を受けるステークホルダーが直接的に企業に訴えることは難易度が高く、実際は彼らの利益を代表する組織(労働組合、コミュニティ組織、NGOなど)によって代弁される可能性が高い。そのような声に耳を傾け、経営陣は影響を受けるステークホルダーとの距離を縮めることが大切だ。

取締役会は、会社の運営に最も影響を受ける人々の関心にどれだけ応えているかを判断するために、次の5つの問いを検討する必要があるとしている。

1. 会社は、影響を受けるステークホルダーが誰であるかを把握しているか?
2. 影響を受けるステークホルダーに起こりうる人権に関する悪影響を把握し、適切に対応するための仕組みがあるか。
3. 取締役会は、これらの仕組みを監督し、その有効性を確保するために十分な関与をしているか?
4. 取締役会は、これらの業務を遂行するための適切なスキル、経験、知識を持っているか?
5. 取締役会は、これらの業務を遂行するために、適切なモニタリングとレビューの仕組みを設けているか?

これら5つの問いに対応するためのポイントが、ガイダンスノートに書かれている。

1. 会社のステークホルダーが誰であるかを明確にする
取締役会が取るべき最初のステップは、企業活動により影響を受けるステークホルダーは誰なのかが明確になっているか、自問自答することであるとしている。これには、企業の活動に最も直接的に関連するグループや個人を分析すること、また、人権侵害に対する脆弱性のレベルや、企業の行動がこの脆弱性を増加または減少させるかどうかを分析することが必要となる。ここは重要な点だと思うが、グローバル企業の場合、これらの影響を受けるステークホルダーの数は数千から数百万に及ぶ可能性がある。個人を直接把握することはできないため、企業は影響を受けるステークホルダーのプロファイルを明確にし、これらのステークホルダーが属するカテゴリーの利益を正当に代表する組織を特定し、耳を傾ける必要があるとしている。

2. どのようなメカニズムが適切かを決める
企業は、影響を受けるステークホルダーの利益に関連する幅広いメカニズムを持っている可能性が高い。下の図はメカニズムの一覧となっているが、取締役へのインタビューに基づき作成されたもので、その関連性は事業の性質に依存する。取締役会は、どのメカニズムが社内で実施されており、さらに影響を受けるすべてのステークホルダーの懸念に適切に対応するためにそれらのメカニズムが利害を調整できるか/能力を有しているかを検討する必要があるとしている。メカニズムのリストがあるだけでは、それらのメカニズムが影響を受けるステークホルダーの利益を取締役会に提起する上で効果的であるとは限らない。取締役会は、会社が影響を受けるステークホルダーおよびその代表者と、メカニズム自体についてどれくらいの頻度で協議しているか、またメカニズムが人権を尊重する上で効果的であるとステークホルダーが感じているかを問う必要がある。

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メカニズムの一覧

3. 適切なレベルの取締役会の関与と監督を確立する
本調査では、このような仕組みへの取締役会の関与の度合いには、直接的な関与や定期的な監督から、散発的あるいは限定的な関与まで、企業やセクターによって大きな差があることが示唆された。大企業であっても、取締役会は、既存のメカニズムの有効性を検討するとともに、可能な限り、影響を受けるステークホルダー自身やその代表者などの外部アドバイザーの助言を活用する必要があるとしている。

4. 必要な技能、知識、多様性、経験を有する取締役会とする
このような仕組みに対して必要な監督を行い、影響を受けるステークホルダーの利益に配慮した行動をとるために、取締役会は適切な構成、構造、企業文化を必要とするとしている。これを確保するためには、取締役会議長の役割の重要性が指摘されている。また、取締役会は適切なスキルセットと経験を持つ執行役員および非執行役員を含むべきとも言及している。多様な取締役らは、サステナビリティとガバナンスに関連するすべての委員会などの活動を監視する能力を有し、会社の管理職幹部に対しても適切なレベルの監督を行う必要がある。

5. 進捗状況の確認、評価、開示をする
影響を受けるステークホルダーと会社の効果的な関係性を維持することは、どの取締役会にとっても継続的な努力が必要となる。仕組みは定期的に評価されるべきであり、取締役会の関与と監督も同様に評価されるべきである。会社から最も影響を受ける人々の意見は、課題解決の進捗がなされているかどうかを確認し評価するために、定期的に求められるべきものとなる。取締役会は、影響を受けるステークホルダーの安全と安心を確保しつつ、ESGへの統合的なアプローチの一環として、他のすべての重要な非財務課題と同様に、上記で推奨されたプロセスに沿って、影響を受けるステークホルダーとの関わりに関する会社のパフォーマンスを開示する必要がある。

人権のスタンダード化とその後

奇しくも「ビジネスと人権に関する指導原則」が発行された2011年に、TFNではハーバード・ケネディ・スクールまで故ジョン・ラギー教授を訪ねた。そしてその際に、フレームワークと指導原則をまとめた背景として、国際的に適用できる最低限のベースラインを作成することが任務だったと話された。その時はピンと来ていなかったのだが、あれから10年余を経て、ラギー教授が言われていた通りのことが、世界各国で起こっていることに驚愕する。ソフトローだった指導原則がハードローとなるなかで、リーダー企業はベースラインで満足するわけにはいかない。人権の取り組みはサステナビリティの追求と同様に終わりのない旅路であり、人を大切にするという自社の哲学に従い、創意工夫により探求を進めていただきたいと願っている。 
 
 
 
この記事は、(株)イースクエアが運営するサステナビリティ先進企業のネットワーク「フロンティア・ネットワーク」の季刊誌に掲載した記事です。
 

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