イースクエア社長、本木啓生の視点 #4
危機から学んだシェルの変革
- 真剣勝負のエンゲージメントとは -
2023年3月1日
株式会社イースクエア代表取締役社長 本木 啓生
私が尊敬する大切な友人、トム・デルフガウ氏が昨年末にベルギーの自宅で息を引き取った。デルフガウ氏は、ロイヤル・ダッチ・シェルが2015年に2つの大きな危機を経験した後、サステナビリティにより経営を変革した際の立役者である。
1995年の2つの危機
1995年当時、海上に浮かぶブレントスパーは耐久年数を過ぎて老朽化が進み、処分が必要となっていた。ブレントスパーとは、北海油田から採掘された石油を貯蔵するための施設である。英国政府、地元漁業関係者、地元NGOの許可を取るなど、シェルUKのスタッフはあらゆる備えをした上で2週間後に海洋投棄することを公表したのだが、グリーンピースが猛然と反対運動を起こした。彼らが海上のブレントスパーにボートで乗り込み、海洋投棄を阻止しようとする姿がTV報道された。このグリーンピースによるキャンペーンは、英国外からも注目を集め、瞬く間にボイコット運動が欧州全土に広がった。ドイツでは、シェルスタンドが燃やされる事件が起きるなど、シェルとしてとても容認できない事態となっていった。その後、シェルはグリーンピースの主張に耳を傾け、別の処分方法を模索することに同意し、2年後に海洋投棄の計画は諦めて、陸揚げしてリサイクルすることになった。
同じ1995年に、シェルはナイジェリアでもう一つ衝撃的な経験をしている。当時のナイジェリアは軍事政権下にあった。国の政策に異を唱えていた人権活動家であり環境活動家であったケン・サロ=ウィワとその仲間たちが逮捕された時、各国の政府や人権NGOはシェルに公正な裁判をするように働きかけをしてほしいと嘆願した。 シェルはナイジェリアで大きな事業を展開しており、政府とも太いパイプがあったためである。しかしシェルは動かず、結果的に逮捕された9人は弁護士なしの特別法廷の後に、絞首刑に処された。何もしなかったことで、シェルは実質的に圧政に加担したとして批判の的となり、世界各地でシェルへのボイコット運動が勃発した。
この2つの事件は、シェルの経営陣および従業員に大きな衝撃を与え、特に欧州では大きなダメージを被った。従業員は自分がシェルに勤めているということすら言いづらい雰囲気で、外部の評価、内部の動きに非常に敏感になった。事件当初、トップマネジメントは、なぜこのようなことが起きたのかが分からず、原因究明の真っ只中ということもあり、はっきりしたメッセージを発することができずにいた。
ブレントスパーの出来事に関しては、最初はシェルUKが特定地域の問題として捉えていたため、社内でも事前に情報は共有されていなかった。学んだ教訓は、危機はローカルにとどまらないということ。瞬時にグローバルでのグループレベルの危機に発展する。英国政府とだけ合意できればそれで良いという考えは誤りであり、グループ従業員にこのような問題が起こっているということが共有されていなかったことは、大きな過ちであったことに後から気付かされた。
すべての手順を踏んでいたにも関わらず、計画を断念せざるを得なかったということで、社内では理不尽であるといまだに怒りを覚える人がいる一方、シェルスイスでは、どんな理由であろうと海洋投棄することは許されないと怒りを露わにする社員がいた。同じシェルグループとはいえ、シェルUKの風土とは合わない、関係したくないという反応があったとデルフガウ氏は語っていた。
危機後のシェルの変革
そして、これらの体験を通して、シェルは世界の価値観が大きく変化していることに気づき、経営としてサステナビリティに取り組む決断をすることになる。18カ月をかけて大勢の外部の専門家の声を拾い集め、なぜこのような危機に陥ることになったのかという原因究明を行った。その結果、2つの重要な決断が下されたのだが、それは従来のビジネス原則に「人権」と「サステナブル・ディベロップメント(持続可能な発展)」を組み込むということと、新たに「シェル・レポート(その後、サステナビリティ・レポートとなる)」という年次報告書を作成することであった。シェルに32年間勤務、2カ国でCEOを勤めるなど主に経営に携わってきたデルフガウ氏が、1997年にサステナビリティ担当役員として抜擢され、サステナビリティに真っ向から取り組むことになった。当時のCEOマーク・ムーディー=スチュアート氏は、「我々は、持続可能な発展への貢献が、長期的なビジネスの成功にとって鍵となると信じている」と明言した。
真剣にステークホルダーに向き合う
危機に遭遇したことの気づきとして、「何が正しいのか自分が知っていると思ってはならない。他者の意見を聞くことにより、学ぶこともあり、事業戦略を見直すこともある。」と、デルフガウ氏は語っている。シェルはこの2つの事件により、社会とエンゲージメントすることの必要性を理解したことをWebサイト上で開示した。自分たちがいくら正しいと思っても、人々の関心事や期待を理解してそれに応えることができなければ、計画を実現することができないということである。
企業経営において、自社は何に価値を置くのか、ということをまず明確にする必要がある。そして、ステークホルダーの意見を聞くために、ステークホルダー・エンゲージメントがとても重要な手段となる。これはガバナンスの問題であり、透明性を高め、説明責任を果たすことにつながるものとなる。ただし、透明性のパラドックス(開示した情報を基に指摘を受けたり、さらなる情報開示を求められるなど)により、残念な事態が生じることがあることも、同時に覚悟しなくてはならない。
デルフガウ氏は、次のように指摘する。
- サステナビリティに関する取り組みは、良いビジネスを行っていくためのものであり、企業の事業方針に完全に組み込む必要がある。真に誠実なステークホルダー・エンゲージメントが、そのためには重要である。シェルは重大な危機に直面していたため、このような問題に対処しやすかったのだが、危機に瀕していなくてもこのようなことを認識することはできるはずである。
- シェルのような大きな会社にとっては、誰がステークホルダーかを見定めるのも難しいが、ステークホルダーとのエンゲージメントは、社会の変わりゆく期待を理解するのに重要である。これは、双方向のプロセスであり、事業活動にも影響を及ぼす可能性があるものでもある。
- 本気で誠実に取り組むことが重要で、弱みをさらけ出すようなつもりで、真実を語らなければならない。経営陣はこのような行為をあまり好まず、大変難しいが、最終的にはこういった姿勢は報われるものである。
- ステークホルダー・エンゲージメントと称して、友好的な人々やNGOを招聘して表面的に意見を聞くケースもあるが、それは役立たない。ステークホルダー・エンゲージメントは一種の「戦い(fight)」である。攻撃的な人達も含めて、真剣に話し合うことにより、時として重要なことが浮かび上がってくるものである。ただし、相手にすべきではないNGOが存在するのも事実であり、誠実に話し合おうとしてもダメな場合には、放っておかざるを得ないこともある。
- シェルのように経営をも揺るがす本当の危機に見舞われたときは、激烈なまでに反対意見を唱える攻撃的で好戦的なプレーヤーに対してあなた方自身をさらけ出さなければならないことになる。NGOのみならずこのようなグループと関係を持たない限り、世間の評判を変えることはできない。彼らは、非常にプロフェッショナルで、極めて素早く世論に影響を及ぼすからだ。真摯なステークホルダー・エンゲージメントのみが意味を成し、広報のようなアプローチは逆に危険となる。
成功の秘訣
デルフガウ氏は、シェルでの経験に基づき、サステナビリティ課題について認識するだけでは十分ではないと 次のように述べている。本社および世界中のすべての従業員が、サステナビリティの方針と新たなアプローチを実行しなければならない。経営陣が、サステナビリティに取り組むことの重要性を心から信じていなければ、従業員はボディランゲージを読み取って、形だけのものになってしまう。経営陣が信じていないことが従業員にも伝わるからだ。経営陣が価値観を共有するとともに、従業員のオーナーシップを醸成することに時間を割くべきだ。
サステナビリティの取り組みは事業そのものであり付属的なものではないため、事業部のオーナーシップが大切となる。
1990年、サステナビリティを標榜する企業がほとんど存在しない時代に、先陣を切ったデルフガウ氏は当時を振り返り、非常に大変だったが、たいへん報われるものであったと語っていた。会社としてもビジネスパーソンとしての個人の経験としても価値のあるものであったということだ。
2015年にブリュッセル郊外の自邸に招かれたのがデルフガウ夫妻に直接お会いする最後の時となってしまったが、ゆっくりとした口調で温かい笑みを浮かべながら話をするデルフガウ氏のことを、今も時々思い出している。
この記事は、(株)イースクエアが運営するサステナビリティ先進企業のネットワーク「フロンティア・ネットワーク」の季刊誌に掲載した記事です。
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